かみなし子こんにちは

取り留めなくおんなひとりの生活をつらつらと

かみなし子こんにちは

絵とか歌とか文章の凡人さ

自分のできることなんてどれも大したことないなって思って心が折れているのが今。

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わたしは肩書きはOLしかないしど素人で一般人なんだから当たり前のことだけど、それでも書く。(「そんなことないよー」待ちでは決してないのでコメントするなよ。するなよ?絶対するなよ!?)(本当に不要ですごめんなさい)

 

ちょっとした趣味があって、それはイラストを描いたり歌を歌ったり楽器を演奏したりネイルをしたり旅をしたりブログに書いている通りのことくらいの引き出しはあるけど、その引き出しがすっげー、浅いの。あっさいのもう。上げ底9割くらいじゃないのって、たまに思う。

 

最近Twitterで「#平成最後に自分史上一番バズった絵を貼る」ってのが流行ってたから追いかけてたんだけど、神絵師さんとか、そんなの見てたら、自分なんて描く意味ないんじゃないかなーと。歌も同じ、録音でもアップしてみようかななんて一瞬思ったけれど、聴かせる技量も届かないのではないか。自分より上手い人なんかたくさんいる。

人様の貴重な視線を浴びる意味って。わからなくなった。

 

どうせ自分は凡人という枠からは一生抜け出すことがないまま終わるんだろうなー、とふてくされる。卑屈。何より全ての行動が中途半端。1日1記事ブログを書くのだけかろうじてできているけれど(これは自分の文章だけは無駄な自信があるからだけれど向上心がないのと添削される勇気がない)、じゃあそれをどこかに売り込むような覚悟と行動力もない。書き続けることで何か魅力を発揮してどこかの媒体に見出されるなんてことも全くない。もうすぐ2年経つが掃き溜めあるいはチラシの裏でしかない、ただのゴミだ。書く話題だって人の役に立つことなんかないしネタになるようなちょっとした下ネタだって中途半端でバ○ブ100本集めましたとか各ち○このレビューとかしてるわけでもなく。

 

ちん○は余計だった。

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とはいえ、凡人という言い訳を用意してちんたらやることも楽しいのだけれどね。仕事じゃないし、求められていないからこそ、片手間に楽しめる。そんなときもある。自己承認欲求という「見られたい」なのか、ただ自分が「やりたい」という自己表現欲求なのか。きっと後者の方が大切なのであろうが、前者でくじけそうなことも多い。

 

もっと、自由に自在にできるようになりたい。今できることは限られすぎてあまりにももどかしい。目に見えたものを、見えないものも紙に表したい。聴く人の感動を呼び起こすような歌を歌ってみたい。エトセトラエトセトラ。何か、誰かに残るものを自ら創り出して残したい。

 

いつか続けていれば、きっと「ものにできた」感覚をひとかけらでも掴める時はくるかもしれない。継続。それが一番尊いものである。それに再び気づくために、改めて意識するために、凡人のわたしは、これからのつまらない人生のために奮い立たせたい。

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