かみなし子こんにちは

取り留めなくおんなひとりの生活をつらつらと

かみなし子こんにちは

京都・東福寺を訪ねる。

この記事は2018年1月の体験に基づいています。

旅行3日目、京都で迎えた朝。今日は宇治方面に行く。その途中で、どこかに寄りたい。昔、家にあったガイドブックで、印象に残っている景色があった。パッチワークのように、幾何学模様のお庭。

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それが東福寺であることを知った(東寺と取り違えていた。。)のはまたその数年後、そしてついに行くことになった今年も、さらに数年後のことだった。

 

また、これも知らなかったのだけれど、不動の作品であるCMでも、やっていたのね。桜より、紅葉。また響くコピーを考えるよな。あとサウンドロゴ。子どもの頃は何も考えずに「My Favorite things」がオケやクラシック、はたまた和風の曲だと思っていたさ。


【TVCM】2000年 盛秋「東福寺・光明院 作庭」そうだ 京都、行こう。

 

南へ向かう。

ううやっぱり寒い。JR奈良線で出発。

 

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ついた。というか、たった1駅だった。。。バスでもよかったのかもしれないが、良いのがわからなかったのだよ。

不安にもなりながら線路沿いに歩く。

 

思ったより大きいのかもしれないな。。

この辺にきて、やっと知るのだが、CMにも出ていた有名なところらしい。

この橋とか(臥雲橋)。 

ポスターギャラリー 2015年初夏 東福寺

 

途中に咲く花がきれい。桜も少し咲いている?

ついた

www.tofukuji.jp

 

格子柄のお庭を見に、入りますか!

方丈は昔で言う僧侶の住居なんだって。今は応接(相見)の役割が強いらしい。

お庭を見ているあいだに御朱印もいただいた。

方丈の東西南北に四つ、それぞれ趣の違う庭があり、「八相の庭」と称され、近代庭園の傑作とされる。「蓬莱」「方丈」「瀛洲(えいじゅう)」「壷梁(こりょう)」「八海」、「五山」「世田市松」「北斗七星」の八つを「八相成道(釈迦の生涯の八つの出来事)」にちなんで命名。

 

 

南庭 

「蓬莱」「方丈」「瀛洲」「壷梁」は中国大陸に存在するとされた島のこと。これを石に表し、渦巻く砂紋によって「八海」を表す。

西側の山が「五山」になぞらえた築山。俗な感想だけれど、毎朝描くの大変だよな。

西庭

井田市松、井の字に等分した古代中国の田制「井田」にちなんだもの。

北庭

わたしが覚えていたのはこの景色だった。イサムノグチも見たというらしい。苔という自然のものが、石という人工物と調和している。なんだか不思議だ。しばらくボーっとしていたが、北側なので寒い。

東庭

本当は入るとすぐある庭。宇宙的な感じ、しますね。「北斗七星」に見立てて配置した石は、東司(便所)の柱の余りの石を利用。

禅とか、茶室とか、よくわからないけれど宇宙すら表す(星座とか関係なくも)。 なかなか見ごたえがあった。

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そして外に出る。

本堂

この日の天気はベストだった。

そして、三門。手前に蓮池があるのだが、季節的にきれいじゃなかった。

南禅寺を思い出すけれど、そこまで大きくはないか、、、多分?記憶の印象だけれど。あれは上に登れるけどこの時はなかった。

 

通天橋

撮影スポット。人がいないのはラッキーだったな。受付の人に聞いたら、紅葉の時期は人が溢れて入れないから入場制限するという!

真ん中が少し盛り上がっている。

こんな空いている姿は見られるのだろうか。 


【TVCM】1997年 盛秋「東福寺」そうだ 京都、行こう。

 

庭はまた別で有料だけれど、そう来る機会もないので、、、。枯れ木も山の、なんとやら。結構階段も多く、アップダウンがすごい。橋2つに挟まれるので、どこを撮っても景色がいいと思う。

立派な建ち方だよな。

苔は元気。

 

 

 

 

ほぼ前提知識ゼロで行ったけれど、非常に楽しめた。オフシーズンも、いいものだな。紅葉の季節は、朝一がベストだろうか。。。しかしJRのCM調べたら、行きたい願望が爆発しそう!冬は寒いんだけどね!次は桜の季節かー。

次の電車はJR。平等院を目指すよ。と、その前にはスイーツ。

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説明

自分のメモ用にパンフをパシャ―

東福寺は3つの橋があるそうで

・偃月橋(えんげつきょう)

・通天橋(つうてんきょう)

・臥雲橋(がうんきょう)

 偃月橋は一番上流にあったらしいのだが、何せ広いので気づかなかった。最初に通ったところが臥運橋だったのだな。住み込みで修行するので、浴室やら便所やらも残っているのだが、それにも厳しい作法があったらしい。三門と禅堂は見事なものだった。