かみなし子こんにちは

取り留めなくおんなひとりの生活をつらつらと

かみなし子こんにちは

精神的リストカットは明け方にfacebookを開いたこと

なんでそんな自傷行為しちゃったんだろうね…


寝落ちて、3時に起きてからスマホを開いてしまい、今に至る。

大好きだった学生時代の女性の先輩、連絡とらなくなって(と、いうかこちらからは連絡することがあっても向こうからは一切なかった狂った片想いだった)わたしが箱に入った*1結末になっていたのだが
出産報告してた。


そっと、facebookのフォローを外した。
普段もそれほどログインしてないのではあるが。


個人的な、特別な人間関係を感じていたつもりであったにもかかわらず、彼女にとってわたしはSNSという多勢の中の一人(もしくはそれより小さい存在)しか思われていなかった(存在すら認知されていない可能性もおる)のは虚無感が強い。これはもう5年前くらい、ちょうどSNS交流辞めた頃から感じていたことだったのだが。グループLINEやメーリングリストなど、「わたしが反応してもしなくても大して利害ない」みたいな環境も然り。

別に本当に関係ない人なら、あるいは何も負の感情(今回の件は好きすぎて伝わらなくて辛いという非常に気持ち悪く重いやつ)を抱かない関係なら手放しに喜べるのだが、結局わたしが彼女を結果的に憎むくらい羨ましく感じている点が原因にあるだろう。

今回とは別に、以前、とは言っても3年以上前か、わたしが箱に入った後に偶然会う機会があったのだが、その時の彼女は婚約中で、どちらかというとマリッジハイといえるような状態だった。(酒が入っていたのもさらに拍車をかけていただろう)


自分の異性関係がどうなっていたのか思い出すのは面倒なのでしないが、顔合わせた途端「かみなし子、わたし結婚するの♡わたし超幸せなの♡」が開口一番。あ、これ「あ、これ結婚原理主義や」と思って物理的に距離を置いて逃げたのを覚えている。


これから彼女のタイムラインには育児記録がひたすら綴られるのであろうか。
フォローはしないが。


全部の他人のライブイベントが妬ましい訳ではなく、きっと「事故(ただの人間関係トラブルなんだけど、わたしの精神的ダメージが大きかったのでこう呼ぶ)が起きた」ということと、彼女の人生の時間の進み方に自分が参加できなかった、という喪失感が今回の感情を引き起こしているんだろう。


かっこよく分析してるようだと、かっこつけにすぎないので、ただのブログなので正直に記しておく。
先輩、本当は好きでした。
昔自分の精神の弱さを吐き出させてもらった。お酒を飲んでさまざまなことを語り合った。ひとり暮らしのおうちにも遊びに行った。学生時代はもちろん、先に就職してからも、勤務中にも会ってもらった。合コンやカラオケオールもした。後からひとり暮らしを始めたわたしの家にも来てもらった。わたしが憂鬱でも相手してもらい、先輩が鬱病を患ったときも必死で電話した。


でもその感情をイコールして感じてもらえなくて悲しかった。たまにはそっちから誘って欲しかった。わたしから声をかけ続けることに疲れた。一緒に旅行とか行ってみたかった。寂しかった。


今後関わることはないかもしれませんが、ずっと平行線こもしれませんが、それぞれの人生を生きましょう。


※念の為言っておくが先輩は同性で、同性愛などではない。依存性の強いわたしなので、人を思う好意が重いだけです。

*1:自分の歪曲した自意識により壁を作り精神的引きこもり状態になること。シャットダウンすることを昔読んだ本からこう呼んでおく https://www.amazon.co.jp/自分の小さな「箱」から脱出する方法-アービンジャー-インスティチュート/dp/4479791779